日本では超高齢社会が問題になっていますね。
同時に、核家族化が進む日本では老老介護などの問題も頻発し、医療現場にて毎日がん患者を診療している立場からすると本当に他人事には思えません。
家族や自分が癌になったとき、まず医者から説明があると思います。
その時の思い出を聞くと「すごく簡潔に伝えられただけだった」「何を言っていたかわからなかった」などなど、これまで様々なお言葉を患者様から聞いてきました。
中にはすごくしっかりしている方が(多くは比較的若齢の方、20-40代です)、インターネットなどで自分の病名を検索し、的を得た質問や治療方針への希望などをはっきりおっしゃってくれることもありますが、ほとんどはそうではありません。
なぜなら、がんってほとんどは高齢者がなる病気だからです。
例えば88歳でがんの告知をする場合、キーパーソンは同年代のパートナーもしくは60代の娘・息子。かなりの割合で「素人の私にはわかりません。抗がん剤をするんですか。すべてお任せします」、そう言って帰宅されます。
もちろんステージにもよりますが、何もしなければ例えば大腸癌なら1年以内、全身に転移がある癌なら3か月くらい、血液の癌なら1-2か月で亡くなります、なんて言われた場合はほとんどの人が治療を希望されます。当然なこととは思いますし、私もがんを専門に診療しているのでそれ自体が悪いとかいいとか言いたいわけではありません。
80代でできる抗がん剤はたくさんあり、今の日本の皆保険制度や高額医療制度も使えば問題なく抗がん剤はできるでしょう。
しかしこの後に問題があります。多くの抗がん剤は身体にそれなりのダメージはあります(映画やドラマのような嘔吐・脱毛というよりも、なんとなく倦怠感がすごくて弱っていく、という感じが多いです)し、70-80代の方に投与するような抗がん剤治療でがんが完治するということはほとんどないです。リンパ腫など、完治に近い状態までもっていくことはかなり増えましたが、それでも完治というには5年は経過を見た方がいいですし、そうしている間に別の併存疾患(腎臓病、糖尿病、心不全、肝不全...など)が大きな問題になって...という場合が多いです。
医者は基本的に人を治すことを20代から叩き込まれているため、いつかは死にます、ということを伝えるのが下手な気がします。今は緩和ケア専門医などもありますが、初めから緩和ケア医が主治医であることはないため、治療するとなった時、「■日間隔の抗がん剤を●コースします」とは言っても、最後はどうなるか、ということはあまり伝えないのが現状です。
これは当然と言えば当然で、抗がん剤の副作用の出方が人により千差万別であったり、抗がん剤の効果がどれほど出るかは正直やらないと分からないことが多いからです。
ここで、初めの1-2コースは抗がん剤がそこそこ効いたとしましょう。その後、次第に効きが悪くなり、違う抗がん剤に切り替えて、しかし病気は進行していき...
再びキーパーソンに連絡を取り、ここでようやく医療者側から「急変されたときに心肺蘇生行為を行うかどうか、最期をどう過ごしたいか」というような話があります。
そこでよく言われるのが、
「全く考えていませんでした。」
ここで医療者と家族の認識の差が明らかになり、みるみるうちに患者さん本人が悪くなり、入院し点滴につながれ、急変して挿管するのかどうかバタバタと決断を迫られて、、、というパターンがかなり多いです。
「今は癌も治る時代」、というフレーズが闊歩(若齢ならもちろんありえます)していたりする影響もあるのかもしれません。
しかし個人的には、核家族化にて「人が死ぬ」という瞬間をそばで見たことがない人が増えているせいではないか、と感じます。
ここでこのポスターです↓
本題に入るのがとても遅くてすみません。
厚生労働省のこのポスター。とっても炎上したことで有名です。
人の死をコメディタッチで吉本の芸人が、、、、ということが炎上の原因だったようですが、それだけでこんなに炎上したのは不思議です。
現代には「人の死」を異常に忌避したり、尊んだりする心理が働いている気がしてなりません。
日本人の平均寿命がかなり長いとはいえ、人はいつか死ぬものであり、半数ちかくの人は癌で亡くなります。
70-80代で癌などの大病が発覚した場合に死の影はかなり近づいているということを患者さんに意識してもらうにはどうすればいいかと常に考えています。これをダイレクトに病名告知時に言うと「そんな不吉なことをいうな!」とかなりの割合で起こったり、沈んだりする人がでてしまうのです。
医療が安すぎる日本、医療が手厚すぎる日本、死をみたことがない人が増えている核家族化...このままどこへ向かってしまうのか、日々悶々と過ごしています。