若手医師が年数を経ていくと日々シビアな病状説明をするようになってくる。
ある癌を発症した高齢女性。高齢とはいっても60代後半。
既往歴や臓器障害はほとんどなく、比較的効果強めの抗がん剤も使えそうな状況。
積極的治療が妥当だろうと自分の中で決めつつ本人と夫に説明するが、
長い予後があるかもしれなくても、強くてしんどい治療は嫌です。
残りが1年や数カ月なら、すぐに家に帰って日々を大切に生きていきます。
私はどちらかというと積極的治療よりは緩和ケア・その人らしく最期を迎える在宅療養などの調整が好きな医師であると思っていた。
彼女の言葉にとても感動した。それを支える夫にも。
しかし医師として彼女に向き合う私が発したのは「本当にそれでいいのですね?」という言葉。ショックだった。「じゃあそうしましょう」と言ってもなんだか冷たく聞こえる。
癌と告知されて混乱して治療を拒否しているだけなのではないか?その疑いを払しょくするためにも、本当にそれでいいのか聞かざるを得ない自分。
この仕事はなんて難しいのだろう。出会って数日、もしくは初めまして、という状況でも、相手がどれくらい理解しているか、本当にこの人が後悔しない治療は何か。それを見極めないといけない。
そんな中でも自分が後から訴えられたくない、こんなはずじゃなかった、こうなるとは思わなかったと言われたくないという心理も働く。
人生は一回しかない。死ぬのも1回しかない。途中で治療をした方がよかったなと言われても、きっとその時には癌は進んでおり立て直せない。
患者さんもかなりの覚悟、もしくは確固たる死生観、自分の幸せをはっきり意識できていないといけない。
それを確かめようと何度も聞けば聞くほど、ぶしつけな医者になっていくような気もする。
経験がすべてを解決していくのだろうか。